2015
11.25

三条・五泉・会津若松視察報告

お知らせ, 議会活動

こんにちは。西郷宗範です。

珍しく当日の視察報告ではなく、1週間遅れての視察報告です。

というのも先日の委員会視察の報告を移動のバスや空港の中であわてて書いたところ誤字脱字が多い…

いささか早ければいいというわけではないことを痛感しました。

ということで、先日11月18日から20日まで行った会派視察のご報告です。

今回は新潟県三条市の「三条マルシェ」及び「工場の祭典」、新潟県五泉市「都市間交流の現状と課題」、福島県会津若松市「友好都市の今後の展望と課題」について行いました。

まずは「三条マルシェ」ですが、三条市はもともと地場産業が盛んな都市で、特に金物作りのまちです。

sanjyo

人口減少や高齢化により中心市街地に人が集まりにくくなっていることから、~三条マルシェ~ごった市@ホコテンを開催し、賑わいを作り出して地域経済の振興を行っています。

「ごった」とは越後の方言で「いろいろなもの」「すごい」という意味だそうです。

三条マルシェを開催するに当たっては、市民による実行委員会を主体とし、市民による手作りの「まちなかのにぎわい市場」として運営されています。

地産地消を推進し、作り手の顔が見える、魅力的な商品に出会える市場を目指しているそうなので、やはり千葉産業の盛んなまちだなという印象を受けます。

横須賀で言ったら産業まつりを中央大通りなどで開催するイメージでしょうか…

マルシェを行ってから商店街に出店する店も出てきて、シャッター化しつつあった商店街も活気を取り戻してきたそうです。

心配するのは駐車場ですが、市の駐車場などを利用しシャトルバスなどでホコテンにしている商店街まで輸送するという気の入れよう。

資料も平成22年度から3年分の実績報告書にそって説明いただき、ぜひ横須賀でも使える所があったら使ってほしいというお話…

それだけ自信をもって行っていることに感銘を受けるところです。

続いて、「燕三条 工場の祭典」…

「工場」と書いて「こうば」と読ませます。

工場の祭典は2013年から工場見学イベントとして予約をせずに見学ができることを売りとして始められました。

工場は手仕事系が多く、小さなところが多くあることから、工場にたどり着くのが難しいのだそうです。

そこで、ピンクのテープで扉を飾り、目立たせることで目印としました。

工場ではものづくり体験などもでき、今年は約2万人の方が訪れています。

そもそも問屋の流通販路がなくなってきている中で、商品の魅力を伝えるためには実際に工場に来てもらうことが必要でした。

価値をわかって買ってもらうというのが、手仕事系の商品には必要です。

イベントの全体監修は、東京で国際イベントの商品選定なども行っている会社に委託していました。

そこからデザインやPR、編集、カメラマン、プロジェクションなどの紹介を受けて、プロデュースされた企画イベントとして行われています。

デザイナー等には7社で500万円ほどしかかかっていないということです。

実際にイベントに訪れた人は県外からが40%程度、県内が60%程度で三条市民はほとんどいないということですから誘客イベントとして、これほど効果を表しているものはないでしょう。

また、実際に参加した方の中には、その魅力に取りつかれ弟子として就職したり、移転してきた人もいるそうです。

まだ3年目ですが、これだけの効果が表れているとなると、今後非常に期待したいイベントとなっていくことは明白です。

いずれは私もこのイベントの期間に行ってみたいと思いました。

続いて五泉市…

gosen

衣笠地区の方はよくご存じだと思いますが、昭和9年と11年の2度にわたり雪崩で遭難した新潟県川内村(のちの村松町、現五泉市)の猟師(飼主)を助けた「タマ公」の活躍に感激した横須賀市内在住の新潟県出身者の人たちが、昭和11年に小泉又次郎氏に碑文の揮毫を依頼して、顕彰碑を当時の衣笠山の入り口に建立し、昭和58年に現在の衣笠山中段広場に移設し、衣笠観光協会が毎年慰霊祭を行ってきました。

tamakou

平成14年に、村松町の川内小学校の児童が忠犬タマ公のことを学ぶうちに、衣笠山公園のことと小泉又次郎氏の事を知り、当時の小泉純一郎首相に「タマ公の偉業を全国に広めてください」と手紙を出したことをきっかけに、五泉市との交流が始まりました。

今回の訪問は今後を見据えた「都市間交流の現状と課題」として、表敬訪問を含め行ったものです。

こうしたきっかけで交流が始まったことにより、災害時相互応援協定も平成21年には締結しています。

産業まつりで出展していただいたりと、様々な交流が続く中で、現状のままでよいのかというところは感じられるところです。

当時の手紙の内容でも全国にタマ公の偉業を広めてとあることから、まずは横須賀市内にもしっかりと広げ、理解していくことからスタートしていく必要があるかもしれません。

非常に心温まる歓迎を受け、村松公園にあるタマ公の像以外に、市立愛宕小学校にも設置されていることから、タマ公の像視察と併せて、愛宕小学校も視察させていただきました。

tamakou1
gosen2

統合されて新設された愛宕小学校は木をふんだんに使った建物で、雪国ならではなのでしょうか、広い廊下の空間が積雪時でも子どもたちが遊べるくらいの広さを保ち、素晴らしい施設でした。

続いて、会津若松市です。

aidu

先日、会津若松市とは友好都市締結10周年を迎えました。

会津若松との縁ははるか800年前までさかのぼります。

当時の横須賀市は中世の会津を支配していた葦名氏の祖、佐原十郎左衛門義連が拠点としたまちでした。

その後、1810年から10年間にわたり会津藩が江戸湾を警備した際には三浦半島は会津藩領となりました。

そのため、市内には会津藩士のお墓も残っています。

また、横須賀製鉄所の建設に尽力した小栗上野介の妻が幕末の動乱期に身を寄せていたのも会津です。

ちなみに、今回の行程は小栗上野介の妻が通った行程に近いコースでした。

会津若松市との交流状況は双方の市が関係するだけでも相当な数に上ります。

民間レベルの交流を含めればこれほどの交流を行っている友好都市というのも少ないのでは…

今回も先日メルキュールホテルで行われた会津若松市民との交流会で同席された方たちが、夕食の席にわざわざご挨拶に来てくれたほどです。

会津若松市民の皆様の心遣いが非常に温かいことを感じる1日でした。

詳細の報告については後日報告書として市のホームページにアップされますが、今年度最後の視察として非常に勉強になった3日間でした。

それにしても今年の視察は素晴らしいものが多かったです。

これをいかに市政に反映させるか…

これが一番大事ですね。

西郷宗範
最後までお読みいただきありがとうございます。 ぜひ下の横須賀情報のボタンをクリックしてください。




にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 横須賀情報へ にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 横須賀情報へ    
「いいね!」と思ったらクリック!