3月11日
こんにちは。西郷宗範です。
きょうで東日本大震災から4年の月日が経ちました。
犠牲者の方々に謹んでご冥福をお祈り致します。
また、被害者にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。
きょうは私が委員長を務める生活環境常任委員会と総務常任委員会が開催されましたが、両委員会では冒頭、犠牲者の方々に黙とうをささげました。
当時、私は市内で信号待ちをしていました。
2台前に並んでいた大型ダンプが左右に大きく揺れ、歩道の電柱がしなるように揺れていたのが今でもまぶたの裏に焼き付いています。
状況がよくわからず、当日開けたばかりの事務所にも連絡がつかない…
戻っても町内が停電しており、テレビでの情報入手は困難でした。
インターネットなどで情報は入るものの、長引いた場合のことも考え、数時間おきに確認するのが精いっぱい…
止まってしまった信号のためか、道路は渋滞していました。
子どもの下校時だったため安全パトロールをしていた町内の方々が幹線道路以外は誘導してくれていました。
あの日のことは今でも忘れられません。
横須賀市の防災体制も、その後、議会で防災体制等整備特別委員会を設立し2年近くにわたり審議してきたことで大きく変わってきました。
昨年の第4回定例会でも特別委員会が提言した事項については、継続して行わなければいけないもの以外は概ね対策が整ったと報告されています。
最近は各地で大きめの地震がおきています。
また、火山の活動も活発ということで、いつ何が起きるかわからないという状況でもあります。
防災体制等整備特別委員会の委員として学んできたこと、また、4年前の3月11日に体験したこと…
これらの経験をいつまでも忘れないためにも、しっかりと伝えられるようにしていかないといけないと考えています。