10.08
三浦按針
こんばんは。西郷宗範です。
昨日で定例会も終わり、次の議会に向けての新たな勉強の時期です。
きょうは逸見にある浄土寺を会派で訪れました。
以前、浄土寺のご住職には議員研修会で三浦按針についての講演をしていただきましたが、実際のお寺伝来の三浦按針ゆかりの品々などを見せていただきながら、お話を伺い、また、来年本市で行われるANJINサミットについての意見交換などを行いました。
よく近くにある鹿島神社が按針邸跡と誤解されることが多いのですが、鹿島神社はもともと現在の横須賀米海軍基地内にあった神社…
鎮守府などが置かれた際に現在の場所に移動したとのこと…
確かに、汐入の子之神社や長源寺、三春町の春日神社も軍により移動させられたものです。
鹿島神社はもともとは浄土寺の敷地内で、もともとは逸見小学校のもととなった寺子屋が鹿島神社のところにあったようですね。
近くに生まれながらなかなか知らないものです。
さらに三浦按針は日本橋按針町に屋敷を構えていたことから、横須賀の魚を按針町に運ばせ商いをさせ、魚河岸として繁栄させたそうです。
ということは、築地の原型も按針からでしょうか…
ということは横須賀発祥のような意味合いにも取れますが…
歴史を見ていくといろいろ面白いことがありますね。
そういえば、ガリバーのモデルも按針だったといわれています。
ガリバー旅行記に出てくる場所は基本は仮想の国ですが、ジャパンだけが出てくるそうです。(ところどころ知っていますがちゃんと読んだことがないのです…)
そして、ジャパンのザキモスという地名が乱筆で書くと観音崎と読める…
こうしたことも面白いですね。
横須賀の名所はいろいろありますが、按針について追及するともっと面白いかも…